ボーイズタウンの始まり

1917年にアイルランド出身のエドワード・J・フラナガン神父は、ネブラスカ州オマハでホームレスの支援をしていましたが、なかなか希望が見出せないことに頭を抱えていました。ある日、一人の少年に出会い、行くあてのない少年のために家を借りることを決心します。当時の孤児院は国籍や宗教による差別がありましたが、フラナガン神父はどのような少年でも受け入れました。翌年の春には、100人の子どもたちがフラナガン神父のホームで暮らしていました。1921年にはオマハの田舎に土地を購入し、ホームを移します。その頃には、「Village of Boys Town」の名で知られるようになりました。1930年代には、数百人の子どもが住むようになり、学校や学生寮を建設しました。そして、1936年にネブラスカ州の正式な町として認められました。


拡大と変化

フラナガン神父が1948年に亡くなった後、ニコラス・H・ウェグナー司教が「神の仕事」を引きつづことになりました。そして、1973年にウェグナー司教が引退し、ロバート・P・ハップ司教が後を継ぎ、大きく2つの変化がありました。寮生活から革新的なファミリーホームへの転換、そして、女の子を受け入れるようになったのです。ファミリーホームプログラムは「ファミリーティーチャー」と呼ばれる夫婦が子どもを家庭環境で養育するボーイズタウンの代表的なサービスの一つです。1977年にボーイズタウン・ナショナル・リサーチ・ホスピタルが開業しまし、今日では全米でも有名な聴覚や発話障がいの治療施設として毎年6万人の耳の不自由な子どもたちを支援しています。

バレンタイン・J・ピーター神父(任期:1985年〜2005年)によってボーイズタウンのプログラムは全米12箇所に拡大しました。ボーイズタウンが支援した子どもや家族の数は大幅に増え、新たに開発された研究ベースのプログラムによってサービスの品質が向上しました。


今日のボーイズタウン

スティーブン・E・ベイズ神父が2005年からボーイズタウンの全米総責任者を務めています。全米に支援を提供し続けていますが、本部はオマハにあります。アメリカ最大の非営利児童福祉施設として、行動や情緒に問題を持つ子どもへの支援を行なっています。毎年、ボーイズタウンは200万人以上の人々に支援を提供しています。また、ボーイズタウン・ナショナル・ホットラインでは累計800万件の電話に対応してきました。

子どもにとってより良い世界にしたいというフラナガン神父の夢は、今日にも受け継がれています。


各種サービス

  1. コミュニティー支援サービス:外来の子どもと家族のサービス、コミュニティーの教育サービスと支援、ボーイズタウン・ナショナル・ホットライン、コモンセンスペアレンティング
  2. 訪問在宅型家族支援
  3. 里親支援:一般の里親、専門里親
  4. トリートメント・ファミリーホーム
  5. 介入とアセスメントサービス:アセスメント、一時保護、介入とアセスメント・ホーム
  6. より専門的なケアが必要なグループ・ホーム
  7. 集中居住治療


ボーイズタウンからのメッセージ

ボーイズタウン 全米総責任者 スティーブン・E・ベイズ神父

日本の家族にボーイズタウンのコモンセンス・ペレンティング幼児篇の訓練を提供できますことを非常に喜んでおります。親子にその生き方を変える関係の持ち方をもたらす、継続的な努力をする中で、私どもは、このプログラムをおつかい頂ける児童養護施設や専門家の皆様と協力出来る事を熱望しています。

ボーイズタウンは90年前にエドワード・J・フラナガン神父により創立されて以来、子供と家族への配慮と処遇の全米におけるリーダーとしての役割を果たしてまいりました。全米の子供と家族にサービスを提供する非営利団体のもっとも大きな団体の一つとして、統合的で相互が関係しあう配慮をとおして幅広いサービスを提供してまいりました。ボーイズタウンのプログラムとサービスは、全米で160万人の人々の生活に関わっています。

ボーイズタウンは、日本の児童養護に歴史的関係を持っています。1947年、フラナガン神父は、子供たちが健全な市民として成長する為に必要となる養護と指導を受けることを保証する為に、その夢を共有すべく訪日しました。フラナガン神父の仕事は、児童養護制度の基礎をすえるなど多くの特記されるべき影響を日本の文化に与えたと思います。また、カトリックの神父がより積極的に受け容れられる土壌を作りました。

2009年に久山リチャード博士の協力を得て、日本小舍制養育研究会との協力を始めました。これは、より多くの子供たちが適時に適切な養護が受けられるように、ボーイズタウンのモデルの日本における実施へと発展しました。 私たちは、フラナガン神父の夢を持ち続ける為に、日本の皆様と仕事を始められることに意欲を燃やしています。

ボーイズタウンでは、助けを必要とする子供や家族の心を通わせる為には、他の方々と一緒に手を携えることと確信しています。私どもは、この協力関係が日本の子供と家族の利益となる、より大きく継続的な協力関係のきっかけになることを心から願っています。


ボーイズタウン 教育&評価認定部門 副社長 スコット・A・ハートマン

親愛なる日本の皆さま、こんにちは。 私は、ネブラスカ州にあるボーイズタウンの教育&評価認定を行う部門の副社長のスコット・A・ハートマンです。私は、ボーイズタウンには20年以上勤務しています。

皆さまご存知のとおり、ボーイズタウンは、日本の子どもや家族、政府機関への支援には長い歴史があります。フラナガン神父の献身によって1946年に植えられた種は、その後も日本の皆さんの多大な努力や貢献によって今日まで育てられてきました。日本の皆さんとまた一緒に仕事ができることを嬉しく思うと同時に、これまでの皆さんの功績に深く感動しています。

私たちは、常に家族にとってより良いサービスとは何かを追求し、提供する支援方法や出版物・DVDなどに誇りを持っています。そして、家族支援に最高の効果を得られるよう、ボーイズタウンのプログラムを外部で提供・運営する際、サービス内容の忠実性の確保に尽力しています。私たちは、ボーイズタウンの商品・サービス運用が効果的に家族に届くため、許可された個人や施設と密接に連携しています。そして、ボーイズタウンが一定の基準に達したと判断し、非常に高いレベルを満たす者のみを講師として認定します。

US-Japan Advanced Skills Training Centerは、私たちが設定した品質基準を満たし、ボーイズタウン・コモンセンスペアレンティング®(以下CSP)学齢期版および幼児版の日本で唯一の運営機関(ボーイズタウンを含む)で、CSPのテキストやワークブックの印刷・配布をする著作権を所有しています。

日本でCSPの指導者を養成できる管理者(Training Manager)認定の権限は、ボーイズタウン職員のみが所有し、日本で行われているボーイズタウン講師を招いた管理者研修の開催はUS-Japan Advanced Skills Training Centerが独占権を持っています。

子どもや家族に可能な限り最高のサービス、支援、トレーニングを提供するためには、質の高い仕事に尽力することは私たちの使命と考えています。今後も私たちは、US-Japan Advanced Skills Training Centerを通じて教育、訓練を受けた質の高い日本の指導者の皆さま方と、日本の子どもを救い、家族を癒していく活動を熱意を持って続けていきたいと心から願っております。


ボーイズタウン 上級訓練コンサルタント エヴィリン・ウィルソン

皆さんがボーイズタウンのコモンセンス・ペアレンティング幼児篇について興味を持たれている事を知り、喜んでおります。私達は、最近の実証に基づいたペアレンティング・プログラムを皆さんと学ぶことを楽しみにしています。

ペアレンティングは、私達にとってもっとも大切な責任であり、生涯にわたり計り知れない報いをもたらすものであるという事は十分承知しているのですが、同時に多くのチャレンジと即座に決断を下さなければならない状況によって形作られてもいます。ご両親は、子供にとって、最初でかつ最も大切な人生の先生です。私たちのコモンセンス・ペアレンティング幼児篇の指導技術は、様々な背景を持つ家族に効果のあった多岐にわたるペアレンティングの方法です。受講されたご両親は、子供に対して自信を持ち、親としての役割を果たせるようになったと報告しています。

この研修の参加者の皆様は、直接、どのようにご両親や養護提供者が子供の問題行動に関わり、その持っている技能に上乗せしていくかの新しい方法を経験する機会を持ちます。 私たちは、日本を再び訪れ、私たちの知識とスキルを皆さんと共有するのを楽しみにしています。日本への訪問は、日本文化への知識と尊敬をましています。このよう機会が与えられ光栄に思うと共に、再度皆さんと共にお仕事ができる事を熱望しております。